高齢妊娠&出産トラブル
前回に引き続き、WEBディレクター綾部、第三子妊娠中のトラブルについて。
前回の記事はこちら→https://passerbygrffc.com/nin_kosodate/fortyandpregnantwiththirdchild/
前回の記事を読んでいただいた方はお分かりかと思いますが、私は初産が35歳だったので、高齢出産でした。
そうは言っても「まだ」35歳。安定期入ってすぐ結婚式とハネムーンでバリへ。初ボディボードを体験し、波に呑まれ口の下をボディボードが直撃し、3針縫う怪我をして帰国。妊娠後期は残業で午前様三昧、出張で長崎行くわ、宮崎行くわ、産休入る前日は岐阜出張。しかもその前日午前2時退社、翌日6時半品川発の新幹線に乗って取引先にプレゼンしに行っていました。もはや、取引の方のが若干引いていた気がします。
出産予定日十日前に新居に引っ越す予定だったので、産休入った途端、ネットで家具を揃え、マンションのリノベーションを担当してくれていた会社と連絡とりつつ、引越しの段取りしつつ、引越し完了と共に、赤ちゃんグッズを揃え、多忙を極めておりました笑。
今考えると、そういうことが妊娠中にできるくらい若かったのね〜といい思い出です。
特にトラブルもない妊娠期間でした。
体外受精を経ての第二子妊娠。上の子もいるわ、体外受精を経ての妊娠で、「やっとここまできた〜」という感じだったので、さすがに第一子の時のような無茶はしなかったものの、WEBデザインの勉強中に妊娠して、そのままフリーランス生活に突入したので、仕事は出産直前まで続けていました。
第二子の時は妊娠後期の血糖検査で引っ掛かり、妊娠糖尿病に。
血糖値測定をしながら最後8週間過ごすことになったものの、9ヶ月半ばでインスリン導入が決まりました。40週0日で出産、帝王切開だったので、産後2日目おもゆからスタートして徐々に食事を普通食に戻すのですが、胎盤がなくなった途端あんなに格闘していた血糖値もスッと元に戻っていました。
第二子妊娠後期は白米30グラム食べただけで高血糖で、もはや「炭水化物一切食べられない。。。」状況になっていて、インスリン打つと高血糖になることはないので、ストレスはかなり減りました。
さて、第三子妊娠の今回。前回妊娠糖尿病をしているので、今回もそうだろうな、と思っていたのですが、数値は前回ほど悪くなかったものの、28週から血糖値測定開始、30週から夕食の1食だけインスリン開始したものの、31週に入ってからまたしても白米30グラムとっただけで高血糖になるので、再来週の検診時には毎食インスリンを打つことになると思います。
血糖値以外にも、今回は妊娠5ヶ月終わりまでひどい悪阻が続き、頭痛と吐き気でほぼ寝たきり、食べられるものも日々変動するわ、精神的にも参ってしまい、鬱に近い状態でした。初期の血液検査で、妊娠期特有の甲状腺の数値以上が発覚。第二子の妊娠期にもあったのですが、今回の方が症状は断然重かったです。「一生このままなんだろうか。」と何回も頭をよぎりました。悪阻真っ只中に三浦春馬さんと竹内結子さんの自殺報道があったので、とても衝撃を受けたのと同時に鬱傾向が悪化していたと思います。6ヶ月に入って、調子が良い日が増えると同時に鬱傾向もなくなっていきました。
そろそろ9ヶ月に差し掛かってきた今は、眠り悪阻が開始。これも今までの妊娠ではありませんでしたが、夕方以降どうしようもなく眠いのです。外にいても、眠くてフラフラするくらいなので、ちょっと危ない笑。
我が家は子供たちが園から帰宅するのが17時半で、帰宅した途端「お腹すいた〜〜〜〜!!!」と騒ぎ出すので、18時過ぎに夕飯マストなのですが、なかなか18時までに夕飯準備するのがしんどくなってきています。調子が良い日は一汁三菜出してあげられますが、体調不良な日はおいなりさんとお味噌汁、前日の残りの煮物、とかで済ませてしまう、子供たちにとってはテンションが上がらない夕飯が週半分はあります笑。先週は近所に住む母に2日ほど夕飯ヘルプ要請しました笑。
そして、もちろん子供達と共に21時には寝落ち、朝8時に長男と共に起床、起きたら夫が長女のお弁当、朝ごはん、バスの送りまでし終わっていて、めちゃめちゃありがたいです。
周りのヘルプがなかったら乗り越えられない妊娠期。
無理せず、一人で抱え込まないで、「今は無理っす!」と周りに甘えられるようになったのも年の功なのかな、と思います。
Webデザイン/Webディレクション/グラフィックデザイン/ビジネスコンサルテーション/通訳・翻訳
東京都出身。4歳の女児と1歳の男児の母。
幼少時代をアメリカで過ごす。中高を日本で過ごした後、大学はNYに渡り舞台照明デザイナーを志すも、途中でファッションに惹かれファッション工科大学に転入、同校卒業。
NYで3年バイイング業務従事後帰国し、外資系アパレル企業で10年間バイヤーとして勤務。結婚・出産を機に仕事と育児の両立のあり方を考えるように。婦人科系のトラブルを機に脱バリキャリし、デジタルハリウッドに通いWebデザイナーに転身。
第二子出産時にカンガルーワークにチャレンジ。
パッサバイグラフィックスではクリエイティブ部門代表